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福井地方裁判所 昭和61年(ワ)353号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は、

1  原告上田幸夫に対し金一九三二万〇五三〇円及び内金一四七九万〇〇一七円に対する昭和六一年一月一日から、

2  原告房本千代子に対し金二七一九万六二四八円及び内金二〇六一万八七四八円に対する同年同月同日から、

3  原告深田万作に対し金一一八〇万六九二二円及び内金八八五万八六〇五円に対する同年同月同日から、

4  原告池田繁松に対し金五一二〇万八五四四円及び内金三九二四万三〇九四円に対する同年同月同日から、

5  原告西岡善男に対し金二七七四万一五一三円及び内金二二〇六万八九八八円に対する同年同月同日から、

6  原告青山輝子に対し金三六〇四万三二一一円及び内金二八四〇万七〇二五円に対する同年同月同日から、

7  原告柏崎きょうに対し金四六四万八四二四円及び内金三二〇万三一六七円に対する同年同月同日から、

8  原告黒光チエコに対し金三四七八万八〇八三円及び内金二五五六万七五九二円に対する同年同月同日から、

9  原告山本肇に対し金一八〇九万六一五二円及び内金一三四二万〇六〇六円に対する同年同月同日から、

10  原告廣田正雄に対し金八八二九万九二四七円及び内金六九七二万九八七一円に対する同年同月同日から、

各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  争いのない事実

1 昭和四七年一一月六日、国鉄北陸線北陸トンネル内で発生した急行列車「きたぐに」の火災事故(以下、「本件災害」という。)の際、原告らは同列車に乗車していた者である。

2 被告(当時は、「日本国有鉄道」である。)に対し、原告上田、同深田、同房本、同池田、同西岡、同山本、同青山、同柏崎を含む被災者八八名は当庁昭和四九年ワ第三六号損害賠償請求訴訟を、原告黒光を含む被災者四七名は当庁昭和五〇年ワ第一四一号損害賠償請求訴訟を、被告廣田は単独で当庁昭和五三年ワ第八九号損害賠償請求訴訟をそれぞれ提起した(以上三つの訴訟をあわせて「前訴」という。)。

3 前訴について、原告上田は昭和五三年五月八日、原告房本、同深田は昭和五三年七月一日、原告池田、同西岡、同山本は昭和五三年八月五日、原告青山、同柏崎、同黒光は昭和五三年八月一九日、原告廣田は昭和五五年七月一八日、それぞれ被告と大要次の様な内容で裁判上の和解をした

<1> 被告は、各原告に対し本件災害の一切の損害賠償として、和解金の支払義務があることを認め、これを支払う。

なお、各原告の和解金は次のとおりである。

原告上田 二七万六〇〇〇円

原告房本 三一四万三六二九円

原告深田 一二八万一一九二円

原告池田 四四九万二五九九円

原告西岡 一七七万九〇二七円

原告山本 七七九万二五二九円

原告青山 六三一万九三〇七円

原告柏崎 五一六万〇〇〇〇円

原告黒光 一六四〇万〇八九六円

原告廣田 一一七五万〇〇〇〇円

<2> 本和解成立後、原告らにおいて新たに障害が発生・判明し、それが本件災害に起因するものと認められる場合には、被告は誠意をもって補償する。

<3> 被告は、希望する原告らに対し、本和解成立後三年間にわたり毎年一回、被告の負担において(但し、交通費及び検査費用のみ。)、少なくともこれまで被告が本件災害の被災者に対し行ってきた定期検診と同程度の検診を実施する。

<4> 当事者双方は、前各条項以外に、一切の債権債務のないことを確認する。

<5> その余の請求放棄

二  請求の概要

本件は、原告らが、前訴和解後、本件災害に起因する慢性気管支炎、閉塞性換気障害の後遺症が発生または判明したとして、前訴和解条項<2>に基づき損害賠償を求めた事案である。

各原告の請求額の詳細は別表<1>ないし<10>のとおりであるが、その計算方法は、後遺症固定時から昭和五九年一二月末までの各年度の平均賃金を算定基礎として各年度毎に逸失利益及び昭和五九年一二月三一日までの遅延損害金を計算し、昭和六〇年一月一日以降は、六七歳まで就労可能として新ホフマン方式により中間利息を控除して逸失利益を計算し、かつ後遺症に基く慰謝料及びその遅延損害金を算出し、その合計額から被告から支払われた後遺症に基く逸失利益、慰謝料及びその他解決金のみを控除したものである。

三  争点

本件の主要な争点は、前訴和解条項(特に<2>)の解釈と、右解釈を前提として、前訴和解条項に基き、原告らの主張する症状について、本件災害と因果関係のある後遺症として損害賠償を請求できるかである。

第三  争点について判断

一  前訴和解条項<2>の「発生・判明」について

(原告らの主張)

前訴和解条項<2>の「発生・判明」とあるのは、「発生または判明」という意味であり、同条項の趣旨は、前訴和解成立時にまだ生じていなかった後遺症の他、前訴和解成立時には症状は増悪中でまだ後遺症の内容や程度が定まらないで和解後より重く後遺症が定まった者は「新たに障害が発生」したものとして、また、前訴和解成立時には後遺症の存在が自覚的には予想されるもののその内容や程度及び因果関係が公にまたは原告らに判明しておらず後日その内容や程度が明らかになった者は「新たに障害が判明」したものとして、いずれも被告がその損害を賠償すべきことを約したものである。従って、前訴和解時に被告がその存在や程度を争っていた障害が後に本件災害の後遺症であると解明された場合はすべて判明条項により、補償を受けることができると解するべきである。

(被告の主張)

原告らは本件災害による後遺症を前訴でも主張しており、前訴和解時点で主張されていた症状、生活上の支障の程度などを総合的に勘案して和解がなされたものであって、決して和解の対象を訴訟物に限ったものではない。すなわち、前訴和解は本件災害にかかる一切の損害について和解したものである。

前訴和解条項<2>は、同<1>で、一切の損害賠償の解決を確認したことから、身体傷害事件において、将来予測しがたい障害が新たに発生することがないとはいえないため、和解による権利放棄がそこまで及ばないことを指摘しておくという、通常用いられる注意的和解条項を採用したにとどまり、これ以上の意味はない。

従って、新たに障害が発生し、かつこれが判明すること、すなわち争う余地のないものとなること、しかもそれが本件災害に起因すると認められること、以上の二要件を満たすことが本件災害の後遺症についての損害賠償請求のために必要である。

(当裁判所の判断)

本件訴訟の原告ら及び被告の訴訟代理人の中には、前訴の訴訟代理人として前訴和解の成立に向けて中心的な働きをした者も多数含まれているところ、和解条項の解釈について本件の如く意見が対立するということは、いずれかが故意に解釈を曲げていないとすれば、内容を確定しないまま和解を成立させたというほかなく、裁判上の和解としては極めて問題であるが、双方とも前訴和解の無効を主張するものではないから、本件紛争において和解条項の内容を確定するほかない。

和解条項<2>の文言の内、「発生」の文言は、文理上、和解後新たに後遺症が発生した場合であるが、和解で考慮された後遺症であっても和解当時の当事者の予測を超えて著しく増悪した場合もこれを含めることが相当である。

後遺症についての「判明」条項は、裁判上の和解において一般的なものではなく、文言のみからはこれを確定することができないから、前訴和解が成立するに至った経過についてまず検討する。

《証拠略》によれば以下の事実が認められる。

1 前訴(原告廣田の提起した訴えを除く。)は、原告総数一三五名にのぼる集団訴訟であり、早期に補償を得る観点から、同事件原告らは本件災害に遭遇したことを理由とする一律二〇〇万円の慰謝料と、各自の事情に応じた入通院慰謝料を請求したが、訴訟の中では、本件で主張しているような浮遊粉塵や有毒ガス等による肺機能障害等の後遺症の存在を主張していた。しかし、右訴訟においては、後遺症の立証について、総論的には、死亡者についての解剖結果や、前訴原告訴外六谷佐登志の肺生検の結果等により、細気管支領域における肺機能障害の存在の主張立証が試みられたが、本件各原告(以下、本項においては原告廣田を除く原告らの意味である。)については原告本人尋問やせいぜい原告らが治療を受けていた病院の診断書が提出された程度で、審理も第一次訴訟提起から約三年半後の昭和五二年九月二日弁論が終結された。

同日、裁判所から和解勧告がなされたが、和解交渉の段階では、遭遇慰謝料や入通院慰謝料に限定せず、後遺症による逸失利益も含めた全損害を対象にすることになり、原告らは同年一一月四日、原告毎の損害請求書を提出し、同年一二月九日には原告別症状説明書と、換気障害の後遺症の存在に関する準備書面が提出されたが、その中でフローボリューム検査により肺の損傷を解明することができるようになったことが指摘されており、原告らは換気障害の有無について検査で確認する必要を意識していたことがうかがわれる。

昭和五三年二月二一日、裁判所から和解案が示されたが、後遺障害に関する部分は次のとおりである。

(一) 原告毎の後遺障害等級(労働者災害補償保険法による障害等級をいうものである。以下、単に障害等級のみを記載する。)と後遺障害慰藉料

本訴原告らに関する後遺障害等級と慰藉料は次のとおりである。

該当等級なし 慰藉料なし 原告上田

該当等級なし 二〇万円 原告深田、原告西岡

一四級 三〇万円 原告房本、

一二級 八三万円 原告池田、原告青山、原告柏崎

一一級 一一九万円 原告山本、原告黒光

因みに、訴外六谷の後遺障害等級は五級とされている。

(二) 後遺障害による労働能力喪失割合及びその期間(いわゆる年限切り)

一四級 五% 三年

一三級 九% 四年

一二級 一四% 五年

一一級 二〇% 六年

一〇級 二七% 七年

九級 三五% 八年

八級 四五% 九年

七級 五六% 一〇年

六級 六七% 症状固定日から六七歳に達するまでの期間

五級 七九% 症状固定日から六七歳に達するまでの期間

(三) 本和解成立後、新たに障害が発生し、それが本件災害に起因するものと認められる場合には、被告は誠意をもって補償する。なお、本和解成立後三年間にわたり毎年一回、希望する原告らに対し、被告の負担において(但し、交通費及び検査費用のみ。)少なくともこれまで行われてきた定期検診と同程度の検査を実施する。

そして、同年三月一八日の和解期日において、訴外六谷について和解が成立したが、同人については五級相当の後遺症の存在が認められており、原告らの場合と異なり和解後の後遺症に関する条項はない。

同日、前訴原告らの訴訟代理人らは、裁判所に対し、次のような内容の文書を提出した。すなわち、同年一月一四日の和解期日での了解事項は、後遺症について検討を要する原告を双方が抽出し、適切な医療機関において検診を実施し、その検診結果によって後遺症についての判定をすすめるというものであったのに、原告らに対する和解案の説明の前に三月一四日に和解案が公表されたとして抗議し、裁判所和解案について、後遺症の等級が一等級低くなる毎に存続期間が一年短縮されることの合理性と肺機能障害、細気管支炎の存続期間を六年とみることに疑問を述べ、「和解後の補償を和解後に発生した後遺症に限定したのはなぜか、また、従前と同程度の検診では、治療上ほとんど意味がなく、後遺症の判定すら困難であったのに、その質の改善を図る余地はないものか。」と述べている。

同日、一旦和解は打ち切られたが、前訴原告らの訴訟代理人と裁判所との折衝の結果、一週間後の同月二五日に和解が再開されることになり、翌二六日原告団は集会を開き、和解に応ずることとした。その後、裁判所和解案を基準として逸失利益、後遺症慰謝料等が算定され、和解金額が定められた。

前訴和解においては前訴和解条項<3>の趣旨の検診条項が盛り込まれており、「新たな後遺症」については、いわゆる判明条項が付け加えられたが、右条項を入れるについて原告らと被告との間でさしたるやりとりはなく、その意味内容について特に検討された形跡はない。

前訴原告らの代理人は、同年七月、事件処理報告書を作成したが、その中で、「和解条項<2>、<3>項による検診等の完全実施が今後の課題です。弁護団としては、専門の医師に依頼し、北陸トンネル災害症の解明と後遺症の認定に努力したいと考えております。」としており、前訴原告らの代理人らは、本訴における主張と同様な理解をもって行動していたことが明らかである。

2 原告廣田は、その余の原告らの裁判について和解の見込みが立った昭和五三年四月一〇日に前訴を提起したものであり、後遺障害による逸失利益や慰謝料も含め本件災害による全損害を請求しており、和解成立に昭和五五年までかかったにもかかわらず、同原告についてスパイロメトリー検査等換気機能の検査等がなされることなく、結局後遺症の存否について同原告と被告との間に対立を残したままその余の原告らと同様の内容の和解が成立した。

以上の経過に鑑みると、和解条項<2>に「・判明」が加えられたのは、換気機能障害の後遺症について立証が困難なまま、全損害についての和解交渉に入ることになった原告らが、和解金額等において後遺症に関する意見を十分に反映できなかった中で、集団訴訟の早期解決を図る必要との兼ね合いから、換気障害について医学的に解明され本件災害との因果関係が立証できたときは後遺症として補償をすることを求めた結果であると認めることができ、主に発生、判明する後遺症として念頭におかれていたのは、将来発生する予測不可能な障害だけではなく、和解当時に原告らが既に訴えていた肺機能障害によると主張していた症状も含まれており、その肺機能障害の存在が当時普及しつつあったフローボリューム等の検査によって明らかになることをも考慮に入れられたものと思われる。

被告は、本件災害にかかる前訴原告らの全損害についての請求全部について和解により解決するという最終和解がなされたもので、「・判明」は「かつ判明」の意味である、和解条項<1>において同和解が「本件災害の一切の損害賠償として」被告が一定の金銭を支払うべきことを合意した点や、<4><5>項のその余の請求の放棄条項や債権債務のないことを確認した条項からみてもそのように解すべきであると主張する。

しかしながら、<1>項は、訴訟で求めた遭遇慰謝料や入通院慰謝料に限らず全損害を和解の対象としたことを明らかにすることに主たる意味があると解することができるし、<4><5>項があるからといって「・判明」を「かつ判明」と読むべきだとは直ちに言えない、かえって、「・判明」を「かつ判明」と読むべきだとすると、「新た」な後遺症が「発生」し、それが本件災害に起因することが判明した場合の原告らの請求権を留保したものであり、「判明」については、「新た」な後遺症の「発生がはっきり判った」こと、すなわち本件災害に起因することが立証されるべきであるという当然のことを示したにすぎず、特に意味を持たないと解することになるが、前記のような経緯で、特に「・判明」がつけ加えられたことに照らすと、そのような解釈はとり得ない。

もっとも、前記認定の前訴の経緯によれば、和解段階における原告らの請求は、基本的には当時の症状(呼吸器系の症状も含めて)を後遺症として、後遺障害等級に応じた逸失利益を含め全損害を請求する形となっているところ、前訴和解調書を見ても、各原告の、いかなる症状をもって和解の対象としたのかを具体的、一義的に読みとれないこと、さらに、後遺症についての争いがあったにしても、むしろ、そのような訴訟段階で、困難な後遺症立証の攻防を避けて、互譲による和解という解決をするにあたっては、既存の後遺症についての損害は全て和解の対象とされ、予期しえなかった後遺症の発生についてのみ損害賠償請求権を留保するのが通常であること等からすると、「または判明」と解することの不合理さは否めない。

しかし、前記認定の和解に至る経緯と訴外六谷については重篤な呼吸障害の症状を訴えていたが、その原因について問題とされ、前訴において肺生検という侵襲的な検査までした後遺症立証がなされ、裁判所和解案においては、障害等級は五級というもっとも重いランクが認められており、同人の和解条項には本件原告らの和解条項にある判明条項や検診条項はなく、かえって、今後本件災害によって受けた身体の障害に関する一切の治療費等を被告に請求しないものとするという趣旨の条項が設けられていること等の事実が認められることに照らせば、前訴和解について、医学的に未解明の後遺症についての紛争を留保した上で、後遺症として妥協できる範囲での損害について和解したものであると解釈することが、前訴和解における当事者の意思の合理的解釈というべきである。

このように、判明条項を解釈すると、前訴和解で考慮済みの後遺症の範囲が問題となる。この点原告らは和解当時原告らが主張していたが被告が本件災害との因果関係を争っていた後遺症について、因果関係が立証できた場合には全てこの判明条項によって賠償されるべきであると主張するが、和解の性質及び効力からするとそのような見解は採用できない。そして、考慮済みの後遺症の内容が和解調書上に明示されていない本件においては、結局前訴和解当時の各原告の症状の主張や、被告の対応、和解で合意された障害等級等を基に、各原告について前訴和解において和解に当たって考慮済みの後遺症の内容と程度を判定するほかない。年限切りについては、前訴和解は労働能力喪失による逸失利益を多数の原告について算定する必要上、一定の基準に基づいて労働能力喪失期間を認定したものであり、労働能力喪失期間についての予測の困難性を考えあわせると、和解上の互譲の表れとも解しうるので、前訴和解においてその内容と程度が考慮済みの後遺症については、前訴和解後に後遺症であることが「判明」したとしても、年限切りされた残りの期間分を請求できるものではない。

前述のように、いわば後遺症についての紛争を未解決のまま留保した趣旨で判明条項を解釈するとしても、専門家である弁護士が多数関与して合意された裁判所の和解条項であることからして、その「判明」の程度については、和解当時に本件災害との因果関係について争いになっていた後遺症について、単に原告側により有利な証拠を入手しえたというような程度では足りず、少なくとも、訴訟上、因果関係を肯定しうる程度の医学鑑定的な解明をもって、はじめて「判明」したということができる。そして、この立証責任は、因果関係に関する紛争を未解決のまま留保したものであるから、損害賠償の原則どおり、原告らにあるというべきである。検診条項は、被告にその費用の一部を負担させるものとしか解することはできず、被告に「判明」の立証責任を負わせるものとは到底解釈できない。

以上によれば、要するに本件請求の基礎となる原告らの後遺症が、前訴和解後に発生した場合の他、後遺症が前訴和解において考慮されていなかった場合、考慮されていたとしてもその内容と程度が十分に考慮されておらずより重いものであることが医学鑑定的な解明をもって立証がなされた場合に、後遺症と本件災害との因果関係が立証されれば、原告らは前訴和解条項<2>によって、その賠償を請求できることとなる。

二  各原告の後遺症について

原告らは一般論として、訴外六谷について、従来の肺機能検査からは発見できない病変が、肺生検により解明されたことから、同様の病変が各原告らにも存在するかのような主張をする。しかし、一部の肺生検のみから、短時間の有毒ガス吸入で、肺の全てにわたって同様の病変が存在するという説が必ずしも医学的に妥当するとも考えられず、肺の異物排除機能から、一時的な煙の吸入により何年も黒い痰が出ることはあり得ないとする見解もある。

しかも、重篤な症状があり、全就労期間にわたって逸失利益が認められるとして前訴和解において障害等級五級で和解した訴外六谷は、現在は人並みに労働しており、同人の閉塞性換気障害自体不可逆であるかも疑問が残る。そもそも、本件は前訴和解条項に基づく訴えであるから、前訴と同じ証拠によっては「新たに」「判明」したものとはいえず、各原告それぞれについて、後遺症が前述の和解条項の解釈に従った趣旨で立証されているかを検討しなければならない。

原告らは、後遺症として慢性気管支炎、閉塞性換気障害(正確には、閉塞性換気障害を伴った慢性気管支炎)が発生・判明したと主張するところ、証拠によると、慢性気管支炎、閉塞性換気障害の内容及び診断方法は、次のようなものである。

フレッチャーは、慢性気管支炎について「慢性気管支炎とは、肺、気管支及び上気道の限局性病巣によらないで起こる慢性あるいは反復的な咳嗽、喀痰を主症状とする疾患であるが、慢性あるいは反復性とは一年の内少なくとも三か月間、ほとんど毎日、少なくとも二年間連続して、咳嗽、喀痰が存在する状態を意味するものであり、また、同様な症状を示す他の多くの肺及び気管支疾患、例えば、肺結核、肺化膿症、気管支拡張症や心疾患を除外できたときにのみこの診断は下されることになる。」と定義しており、専ら症状から規定されているが、気管支粘膜の分泌過剰を特徴として挙げていることから、粘液を分泌する気管支腺の肥大、増生、粘膜上皮における杯細胞の増生が基本的に存在していることを想定し、これらの病理学的な変化の結果が臨床的には咳、痰として表現されていると理解されている。そして、急性気管支炎の経過が遷延したものではなく、過量の粘液分泌を特徴とする気管支の慢性炎症性病変がびまん性に存在することが重要とされている。

また、フレッチャーは、臨床的経過にしたがって慢性気管支炎の病態を、単純性慢性気管支炎(喀痰を起こすに十分な程度の粘液性の気管支分泌量の慢性または反復性の増加を有するもの)、慢性または反復性粘液膿性気管支炎(限局性の気管支肺疾患によらない持続性のまたは間欠的にも粘液膿性の痰を出す慢性気管支炎)、慢性閉塞性気管支炎(呼気時に肺内の気道の持続性の広範な狭窄があり、気流に対する抵抗の増加を起こす慢性気管支炎)の三種類に分類しているが、これは慢性気管支炎が単純性のものから粘液膿性のものへ、更に喘鳴あるいは呼吸困難を伴う閉塞性のものへと進行するものと考えられていたことによるものである。しかし、フレッチャーは患者の追跡調査の結果、粘液過剰分泌も気管支感染もいずれも不可逆性の気流閉塞の原因として大きな役割を果たさない、解剖学的にも慢性の粘液過剰分泌の起こる主な部位(大気管支)は致死的な気流閉塞が起こる主な部位(末梢気管支)とは異なるとして、単純性気管支炎は慢性閉塞性気管支炎に進行することはないと結論している。

慢性気管支炎の病因としては、内的因子として、性、加齢、遺伝性素因、アレルギー性素因、既往症(肺炎、副鼻腔炎、肺結核、胸膜疾患等)、人種などがあり、外的因子としては喫煙、大気汚染、細菌、ウイルス感染、気候、職業などがあり、最近では屋内汚染も重視されている。

慢性気管支炎の診断としては、問診や喀痰の検査、胸部X線検査や気管支造影検査あるいはCT検査が有用であり、換気機能検査においては、一秒量、一秒率の低下が見られ、重症例では気道抵抗、呼吸抵抗の増加や肺内ガス分布障害、動脈血酸素分圧低下が見られる。

呼吸器の機能障害として、換気が障害されることが多いが、その起こりかたを生理学的にみると、拘束性換気障害と閉塞性換気障害に分けられる。

拘束性換気障害とは、肺、胸郭系の動きが制限される結果、肺気量が全体的に低下し、肺活量も一般的に低下する状態であり、肺活量が身長等から導かれる正常値の八〇%以下ならば拘束性障害と判定してよいとされている。拘束性障害の原因は、肺繊維症、肺切除または肺の浸潤等により肺そのものの伸展性が減少する場合と、肥満、腹水貯留、胸膜癒着、脊柱後側弯症、呼吸筋麻痺萎縮による横隔膜神経麻痺等による胸郭の変形や横隔膜の上昇による場合がある。

閉塞性換気障害は、空気の通り道である気道の病変によって気道が狭窄するために起こる障害で、気道抵抗が増加し、呼気、吸気、とくに呼気の速さが制限され、息切れ、呼吸困難などの換気障害が起こるものである。

換気障害の検査としては、被検者をスパイロメーターという装置につなぎ、検査者の指示に従って、すばやく息を吐く等意図的な呼吸をさせて、肺の容量や気道の閉塞状態を調べる検査(スパイロメトリー。この検査結果は曲線でえられるが、これをスパイログラムという。)と、肺のガス交換の結果は動脈血に反映することから、動脈血ガス分析による検査が行われる。さらに、末梢気道の障害の早期発見に有効な検査として、操作はスパイロメトリーと同じであるが、肺気量変化に従った呼気の気流速度を記録するフローボリューム曲線による検査がある。

スパイロメトリーによって種々のデータがえられるが、一般的には拘束性障害の目安は、%肺活量、すなわち、被検者の性別・年齢・身長から予測される肺活量に対する被検者の肺活量の割合の減少であり、正常範囲は一応八〇%とされている。閉塞性障害の目安としては、全肺気量位まで吸気させた後、できるだけ速く吐くように最大の努力で最後まで呼出させ、呼気開始後一秒間に呼出されたガス量(一秒量)の呼出された全ガス量(努力性肺活量)に対する割合(一秒率)の減少があり、一秒率の減少は気道の狭窄のため努力しても速く息を吐けないことを示している。正常範囲は一応七〇%とされている。そして、総合的な換気障害の目安として、%肺活量と一秒率の積である換気指数(八〇×七〇=五六〇〇により、五六以下は異常)が用いられている。しかし、一秒率は中心気道の閉塞の検出には有効であるが、中心気道の閉塞を伴わない末梢気道のみの閉塞には必ずしも有効ではなく、末梢気道の異常はフローボリューム曲線における呼気終末付近における最大気流速度の落ち込み(特にV25=肺気量中七五%を吐いたときの気流速度の減少)として検出される。

閉塞性障害の疾患としては、慢性気管支炎の他に、気管支喘息、肺気腫、びまん性汎細気管支炎(副鼻腔炎の合併、肺過膨張の所見、胸部X線上小結節影の存在などにより診断可能。)、気道感染が著名な気管支拡張症などが考えられ、これらの病気であると明確に診断できる材料のない例は慢性気管支炎ということになる。これらの疾患について明確な診断を行うには気管支肺生検等の侵襲的な検査を行う必要がある。

このように、気管支喘息は気管支炎と診断するために除外診断をすべきものであるが、原告らは気管支喘息と本件災害による有毒ガスの吸引との間に因果関係があると主張するので、ここで検討しておく。前記のとおり、気管支喘息も閉塞性換気障害の症状を呈するが、気道閉塞が自然にまたは治療によって軽快する点で慢性閉塞性気管支炎とは異なり、吸入誘発試験と気道過敏性によって診断可能である。ところで、喘息は抗原抗体反応の原理により、一定の感作物質への暴露により抗体の形成が生じ、その後の同様の物質に対する暴露に対し、感作を生じて気管支が発作を起こす病態であるという従来の考え方からすると、原告らが本件災害と同じ有毒物質に反復して暴露されているとは考えられないので、結局、原告らに気管支喘息が認められても、本件災害に起因する後遺症とは認められない。この点、原告らは高濃度の有毒物質に対する暴露により、同様の物質への暴露が反復されなくとも、喘息用発作が長期間継続する症状があるという反応性気道機能障害症候群(RADS)の考え方を根拠に本件災害との因果関係も否定し得ないと反論するが、右考え方自体、証拠上事例に基づく仮説程度の理論にすぎないと認められ、従来の喘息についての考え方を覆すほどの医学的な機序が解明されているとは認められない。従って、気管支喘息と本件災害との間に因果関係はないといわざるを得ない。

そこで、各原告について前訴和解後に後遺症が発生または判明したかについて、順次検討するが、原告らの主張及び立証は、加藤幹夫医師の意見に依拠しているところ、以下、いずれも加藤医師が昭和五九年四月二日に作成した原告毎の意見書を「加藤意見書」、平成元年五月一五日作成の甲五一を「加藤補足」、平成六年五月二二日作成の甲七二を「加藤反論」と言い、これらと加藤証言を含めて加藤意見と言う。また、被告の反論は、主として白石透医師の意見に依拠しているところ、白石医師が作成した原告毎の所見と白石証言とを合せて白石意見という。

1 原告上田幸夫について

(原告上田の主張)

和解の対象となった後遺症 前訴和解時には後遺症は問題とならず、定額慰謝料のみ認められた。

現在の後遺症 和解後、風邪をひきやすくなった、咳痰が出る、上り坂になると息切れがし、平らなところを同年輩の人と歩いていても息苦しくなる、二階に上がるだけで心臓がドキドキする。昭和五九年四月加藤医師によって一一級の九に該当する慢性気管支炎、閉塞性換気障害と診断された。

該当和解条項(発生か判明か) 原告上田の病変は和解時に既に存在していたが、外部的な症状としては出現していなかったもので、和解後に発生したものであり、発生条項により補償を請求できる。

(判断)

原告上田は大正一五年生まれで本件災害当時四六歳、菓子製造業を営んでおり、前訴では、気管支鼻炎症、喉の痛み、かわき等の症状を訴えていたが、後遺障害等級、後遺症慰謝料共に認められなかった。

原告上田は、本件災害のあった年の暮れから翌年一月以降、喉が渇くというかカスカスの感じではしかくなり、咳が出る、一度咳が出ると顔が真っ赤になるほどせき込んでなかなか止まらない、高音が出なくなった、そのような症状は同じ程度でずっと続いている、よく息切れがし、二階への階段を昇ると心臓がドキドキと脈打つと供述する。

原告上田についての加藤意見は、次のとおりである。

加藤意見書では、ヒュー・ジョーンズ[2]から[3]程度の労作時呼吸困難を訴えている、検査結果では、一秒率が昭和五四年、五六年、五八年の検査で六六・七、六四・三、五九・六と漸次低下傾向を示し、明らかな閉塞性換気障害を示し、フローボリューム曲線では低肺気量位での著名な気流速度の低下がみられる、換気指数が六七・一、七六・五、七一とじん肺法での心肺機能の軽度の障害に相当する障害を示すことから、一一級の九に相当する障害があるとし、加藤補足では、ヒュー・ジョーンズは改善しており、換気指数は常に七〇以上であるが、咳嗽、喀痰の持続や昭和五八年の検査で肺炎球菌が見られること、動脈血酸素分圧が悪化し昭和六一年には五一・八まで低下していることから、症状は同様または増悪しているとして、一一級の九であるとしている。本件災害との因果関係については、小児期からの慢性気管支炎の存在と喫煙指数五〇〇から七〇〇という喫煙歴があるが、問診の結果、本件災害後、感冒罹患時に咳嗽だけでなく痰を伴うようになったという訴えがあることから、本件災害も寄与因子の一つとなっているとしている。

しかしながら、原告上田については、昭和四七年一二月二五日、咳も痰もほとんど消失し、肺機能検査の結果も正常として治療を打ち切ったという浅ノ川総合病院の医師による治癒診断が出ており、原告上田の前記供述をにわかに措信することはできない。

加藤意見は、要するに、昭和五四年から昭和五八年の検査に見られる一秒率の低下とフローボリューム曲線V25の異常、及び昭和六一年の血液ガス検査の異常を指摘して閉塞性換気障害有りと判断しているところ、昭和五四年の検査では、原告上田の吸い方や吐き方が不十分であったという趣旨の記載がなされていることや、昭和六一年の血液ガスの値は、直ちに入院治療を必要とする程度に悪い値であるというのに、原告上田がそのころ治療を受けた証拠はなく、このことからすると検査結果の正確性に疑問がないわけではないし、検査が正確になされているとしても、一秒率とフローボリューム曲線のV25の値は昭和六一年の検査では改善傾向にあり、また、血液ガス検査の異常は一秒率の改善などと結び付いておらず、これをもって閉塞性換気障害が悪化してきたといえるか疑問がある。

そして、本件災害直後の昭和四七年一二月二五日の原告上田の検査データによると、肺活量、最大換気量、一秒率はいずれも正常範囲の値を示していたことが認められる。

白石意見は、諸検査の結果が信頼できるとした場合には、原告上田について、本件災害直後は正常であったが、昭和五四年から昭和五八年まで軽度であるが末梢気道に閉塞性障害が認められ、昭和六一年に若干改善した、しかし、そのころ換気血流障害を起こすような病態(肺血栓、肺塞栓症)の出現が加わったと見ることになるところ、これらの経過は、小学校低学年のころ肋膜炎に罹患しそのまま継続していること、喫煙指数五〇〇から七〇〇であったが加藤医師に言われて禁煙したこと、昭和五四年から五八年まで肥満度が二七ないし二九%であったことで合理的に説明がつくとも思われるというものである。

加藤反論は、血液ガス異常を肺塞栓症によるものとすると、この程度の低酸素血症が出現するまでになんらかの急性症状を呈する時期が存在するはずが、そのようなことがなかったとして、肺塞栓症であることを否定するが、そのような事態の有無は証拠上明らかではないし、このような肺塞栓症の可能性を否定したからといって、血液ガス検査結果の異常値が気道の閉塞性障害によるものであるということはできず、そのためには一秒率の改善傾向との関係を明らかにする必要があるが、その点についての言及はない。

加藤意見が本件災害との因果関係を肯定することができるとするのは「感冒罹患時に咳嗽だけでなく痰を伴うようになった。」との主訴に重きを置いてのことであるが、感冒罹患時に咳嗽だけでなく痰を伴うこと自体は特異なものとは思えないうえ、加藤証言によるも実際に採取させて持参させた痰は割にきれいなもので量も少なかったというのであり、結局原告上田本人が症状を自覚したのが本件災害の後であるという問診の結果からのみ因果関係を認定しているといわざるを得ないところ、自覚症状、特に痰などは極めて主観的な要素が高く、本件災害により特に意識するようになったとも考えられ、原告上田の主訴自体が本件災害直後の前記治癒診断と矛盾すること等に照らすと、本件災害との因果関係を肯定する根拠は薄弱であるといわざるを得ない。

以上検討したとおり、加藤意見に必ずしも依拠することはできず、結局、原告上田について、本件災害に起因する慢性気管支炎、閉塞性換気障害の後遺症の存在は立証されていないといわざるを得ない。

2 原告房本千代子について

(原告房本の主張)

和解の対象となった後遺症 本件災害後意識不明で救出されて以来、長期間入通院し、入通院時の診断病名は「急性副鼻洞炎、急性咽頭炎、咽頭内筋マヒ症、両下腿打撲、北陸トンネル災害症、慢性咽喉頭炎、気管支・鼻炎症、頭痛、自律神経失調症、記憶低下、めまい、その他」であった。前訴和解では一四級に該当するとされた。合意の対象となった後遺症としては主として耳鼻咽喉頭周辺の異常のみであり、程度も日常生活がいくらか制限される程度であった。

現在の後遺症 慢性気管支炎、閉塞性換気障害該当和解条項(発生か判明か) 主位的には発生条項であり、仮に自覚症状として和解当時呼吸器に関連する異常を訴えていたとしても、同原告は肺機能障害について精密検査を受けたこともなく客観的に指摘されたこともないので、客観的には肺の病変を知る由もなく、その程度は全く判明していなかったが、加藤医師の検診により判明したものであり、少なくとも判明条項により請求できる。

(判断)

原告房本は大正一一年生まれで本件災害当時五〇歳であった。

前訴において、原告房本は、「胸痛、胸部圧迫感、咳、痰、喉が痛む、水をよく飲む、息切れ」などの症状を訴えていたところ、前訴和解では一四級の後遺症ありとして慰謝料三〇万円が認められており、後遺症慰謝料の算定に当たってこれらが考慮されたと考えられるところ、和解後の原告の自覚症状は、ほぼ同様のもので、和解当時と症状が変わったのは息切れがひどくなったというのであり、その他、肩こりや白内障や胸が締め付けられるという心臓疾患を疑わせる症状も訴えている。

これによれば、原告房本については前訴和解において呼吸器官の障害についても考慮されており、原告房本の供述によっても、その後の症状が増悪したとも認め難いから、新たに障害が「発生」したとはいえないし、「判明」したとしても既に前訴和解で考慮済みであると考えられるが、加藤意見は七級該当の後遺障害が有るとの意見を提出しているので、病態及び本件災害との因果関係について判断する。

原告房本についての加藤意見書によると、労作時呼吸困難はヒュー・ジョーンズ[2]程度、努力性肺活量検査が困難で、昭和五七年五月六日の検査しかできなかったが、右検査によると、肺活量と一秒率の軽度の低下から(六六・〇と六六・〇四)、閉塞性換気障害と診断することができる、換気指数や本人の主訴から七級の五と認定する、これらの症状が本件災害後のものであるから因果関係が認められるとされている。加藤補足によると、ヒュー・ジョーンズや自覚症状に変化はなく、換気指数が五五前後で低下、動脈血酸素分圧の値は昭和五四年が七一・六と低く(加藤意見書では、翌年の検査で八二・七に上昇しており特に異常はないとの意見であったが)、昭和六一年には六九・二で異常値であり、障害等級としては従前通りであるとする。

原告房本についての白石意見は、次のとおりである。

加藤意見がよりどころとする昭和五七年の測定結果は、たしかにフローボリューム曲線において、ピークが平坦(山が二つあるようにも見えるのは、ピークに相当した時間に呼出努力が一瞬停止した可能性がある。)であるが、平坦が長く続くものでもなく、呼出時の上気道閉塞(固定性の狭窄)、胸郭内気管の狭窄の特徴に該当しないし、V25と最大呼気中間流量がほぼ正常であって一秒率、一秒量が明らかに低下しているときには中心気道に限定した閉塞性変化と理解されるが、中心気道の閉塞性病変を敏感に反映するとされている最大換気量の減少がなく該当しない、結局、フローボリューム曲線は呼出努力不足のデータというべきである。なお、昭和六一年に実施されたフローボリューム曲線は、立ち上がりが遅れており、これは一秒率や一秒量に影響する部分であるので、信頼性が低い。血液検査のデータの異常については、軽度であり、その原因も末梢気道閉塞の他、加齢による肺の変化や肥満による横隔膜の上昇など多くの原因が寄与している可能性があるが、これらの可能性を排除できる資料はない。ちなみに、前記昭和五七年の検査時点で原告房本は身長一三八センチメートル、体重四九キログラムで肥満である。また、呼吸抵抗がわずかに増大しているが、一回の測定値でもって気道閉塞の証明と解するのは無理がある。

以上の白石意見に照らすと、結局、原告房本についての検査結果の信頼性は低いといわざるをえず、閉塞性換気障害があるという加藤意見には依拠しえない。

また、加藤意見は、原告房本の主訴のみによって、原告房本の症状と本件災害との間に因果関係があると判断しており、客観性に欠けているといわざるを得ない。原告房本の症状には、前記のとおり、加齢や肥満の影響、更には心臓疾患の可能性も十分考えられ、本件災害に起因する慢性気管支炎、閉塞性換気障害の後遺症の存在が十分立証されているとはいいがたい。

3 原告深田万作について

(原告深田の主張)

和解の対象となった後遺症 呼吸困難、喘鳴、咳嗽、喀痰等の呼吸器に関する異常を訴えていたが、被告が認めず、軽度の嗄声をもって一四級に準ずるものとして合意されるにとどまった。

現在の後遺症 同じ症状が継続し、昭和五九年四月二日加藤医師により、慢性気管支炎、閉塞性換気障害と診断され、その程度は一一級の九に該当するものであるとされた。

該当和解条項(発生か判明か) 和解後その病名及び程度が判明したものであり、判明条項により請求する。

(判断)

原告深田は大正六年生まれで本件災害当時五五歳であった。

前訴和解では、後遺症慰謝料としては二〇万円が認められたにすぎないが、和解に際しては、呼吸困難、喘鳴、咳嗽、喀痰等の呼吸器に関する異常を訴えており、それなりに呼吸器に関する症状が慰謝料算定に当たって考慮されたものと思われる。

原告深田の和解後の自覚症状としては、和解当時に比べてより風邪を引きやすくなり、咳嗽、痰がひどく出るようになり、全体的に体が弱くなってきたというものである。なお、原告深田は、一日一〇本程度喫煙していたが(喫煙指数七五〇から一〇〇〇である)、本件災害後煙草が喉を通らなくなり、昭和四八年ころにはやめたと供述している。

加藤意見書は、昭和五四年と昭和五六年の二回の肺機能検査において、一秒率が六三・六、六二・九で若干低め、V25が〇・六から〇・二七と悪化していることから軽度の閉塞性換気障害ありと診断し、本件災害後の咽頭の違和感、喘息様発作、風邪にかかりやすくなったという原告深田の訴えから本件災害との因果関係を認め、一一級の九に該当するとしており、加藤補足には、労作時呼吸困難は訴えておらず、換気指数もほぼ正常、血液ガスも軽度な異常にすぎないが、発作的な咳嗽と喘鳴の出現とこれを裏付けるフローボリューム曲線の異常から等級に変化なしとする。

白石意見は、昭和六一年の一秒率は正常値である七二・一であり、V25は〇・七と改善されており、閉塞性換気障害はない、血液ガス検査が若干悪化しておりわずかに低酸素血症があるが、このような結果を合理的に説明できないとしている。そして、原告深田の、「梅雨時とか季節の変り目に痰とか咳が出る。」とか、「仕事をしていて午後四時か五時になると、喉がずうずうして痰や鼻水が出てくる。」、「風邪を引いていなくても、深夜になるとしょっちゅう咳が出る。」等の喘息様発作の起きる季節、時間帯に関するこれらの訴えは、気管支喘息の典型的な特徴を表しており、季節による変動がなく、早期起床後に咳痰が出るなどの慢性気管支炎の特徴とは明らかに異なり、背部に連続性のラ音があるとの点も気管支喘息の診断に一致するという。そして、気管支喘息の原因を特定することは困難であるが、原告深田が建具職人であり、喘息様発作が夕刻から発生することから職業性のものと診断することができるとしている。

前述のとおり、慢性気管支炎は、定義上気管支喘息と相容れない概念であって、気管支喘息についての除外診断をせずに慢性気管支炎という診断をすることはできないし、また、気管支喘息と本件災害との因果関係を認めることはできない。そして、原告深田の症状を分析して気管支喘息という診断をすべきであるとする白石所見はより説得的であると思われる。

結局、原告深田について、本件災害に起因する慢性気管支炎、閉塞性換気障害の後遺症の存在は立証されていないといわざるを得ない。

4 原告池田繁松について

(原告池田の主張)

和解の対象となった後遺症 和解時の症状は、咳、喀痰があり、呼吸困難を訴え、倦怠感などの神経症状もあった。当時の日常生活制限の程度は、疲れやすいうえ、咳、喀痰のため織物製造の仕事にも中断が生じ、風邪をひきやすく、一度罹患するとなかなか直らないというものであり、一二級相当として合意された。

現在の後遺症 基本的には同じであるが、閉塞性換気障害があり、その程度が七級該当であるということが和解後に判明した。

該当和解条項(発生か判明か) 和解後に初めて「病名及びその程度」が判明したもので、判明条項により請求する。

(判断)

原告池田は大正一五年生まれで本件災害当時四六歳であり、機業を営んでいた。前訴では、主張の呼吸器障害につき一二級相当の後遺症と認められ、慰謝料として八三万円が認められている。

原告池田によると、昭和二〇年からずっと喫煙継続しており、加藤医師の検査当時は一日一二、三本、現在も多くて六本くらい吸っていた。煙草を吸うとどうしても痰が出るようになるという。

加藤意見書では、喀痰量や労作時呼吸困難の改善を認めるものの、昭和五四年と昭和五六年の二回の検査において、肺活量と一秒率が悪化し、低肺気量位での気流速度が著明に低下していることから、閉塞性換気障害有りと診断し、換気指数の成績等から七級該当としている。そして原告池田が本件災害以前に気管支炎に罹患していたことや、昭和五四年当時で五〇〇から七五〇の喫煙指数であったことを認めた上で、湿性咳嗽が本件災害後に出現したということから、従来から罹患していた慢性気管支炎が本件災害により増悪したという点で因果関係を認めている。更に加藤補足ではヒュー・ジョーンズは改善したものの、換気指数の経年的低下傾向と血液ガス検査結果の悪化から、七級の五の状態が継続していると診断している。

そこで、原告池田の後遺症について検討すると、症状の増悪については、加藤意見書自体にも、喀痰量の減少や労作時呼吸困難の改善など、自覚症状の改善部分が記載されていたり、昭和六一年の一秒率やV25等の閉塞性換気障害を示すデータの改善記録があることからすると、一概に不可逆な後遺症の増悪があったとはいいがたい。もっとも、白石意見も、昭和六一年のデータについては呼出の中断があるため、逆に一秒率が改善されたように見えるだけであるとし、他の年の一秒量、最大呼吸中間流量、V50/V25の各低下、及び一秒率等のデータの異常値から閉塞性換気障害の悪化を認めている。しかしながら、白石意見は昭和四八年の検査で正常値が出ていること、喫煙の影響等から、本件災害との因果関係を否定している。

また、白石意見は、原告池田は心電図検査で不整脈だ、レントゲンで心臓肥大だといわれたが、特に治療していないということであり、労作時の呼吸困難を肺性のものと断定するためには、浮腫、動悸、呼吸困難(特に深夜の呼吸困難発作)など鬱血性心不全の症状がないかどうかを検査する必要があるとする。加藤反論は、理学的所見、胸部X線所見共に鬱血性の所見は認めず、頚静脈怒張や浮腫を認めなかったというが、原告池田の自覚症状、白石証言に照らすと完全に心疾患による影響の可能性を排除できたものとはいえない。

また、加藤意見が、原告池田の症状と本件災害との因果関係が肯定されるというのは、湿性咳嗽が本件災害後に出現したということから、従来から罹患していた慢性気管支炎と喫煙の影響による閉塞性換気障害が本件災害による気道病変により、更に増悪したということが十分に想像できるというのであるが、本件災害後の湿性咳嗽は上気道あるいは中心気道の炎症によっても起こる症状で、そのような症状が出たからといって直ちに閉塞性換気障害が増悪したとの証拠にはならないし、増悪の起序がまったく説明されていない。いずれにしても「十分に想像できる」という程度で、因果関係が立証されたというには程遠いというほかない。

結局、原告池田につき、本件災害に起因するものとして症状が悪化したと認めるに足りる証拠はない。

5 原告西岡善男について

(原告西岡の主張)

和解の対象となった後遺症 肺関係についてヒュー・ジョーンズの分類にあてはめると障害程度は中程度より重く、ほぼ[4]度にあたり、軽易な労務以外に服することができないことが明らかであって、七級の五に該当するが、前訴では他の原告の等級を考慮して裁判所和解案一二級とする旨を主張した。被告はこれに応じず、一四級相当とみなし、最終的に金四〇万円を上乗せするということで合意した。すなわち、肺関係の後遺症が存在することは双方了解していたが、その症状の程度が判明しなかった。

現在の後遺症 昭和五九年四月二日に加藤医師により、慢性気管支炎、閉塞性換気障害、七級の五と診断された。

該当和解条項(発生か判明か) 判明条項により請求する。

(判断)

原告西岡は大正九年生まれで本件災害当時五二歳であった。

前訴和解においては、呼吸器の障害につき裁判所案では後遺症慰藉料が二〇万円であったが四〇万円増額され、六〇万円が認められている。

原告西岡の自覚症状としては、本件災害以来、風邪を引きやすくなり、息切れ、声嗄へ、痰がひどく、疲れやすいという状態が悪化してきているというものであるが、前訴の和解時より症状が悪化したことを認めるに足りる証拠はないので、判明条項によっても請求できるケースとは認め難いが、加藤意見は和解において前提とした後遺症の程度より重い等級に該当するとの意見を提出しているので、更に検討する。

加藤意見書は、昭和五四年と五六年の検査で、肺活量の低下と一秒率の軽度の低下が認められ、フローボリューム曲線が著しい凸型(V50/V25=四・四六)であることから末梢気道障害を認め、問診で慢性咳嗽があることから、七級の五としている。また、喫煙歴のないことや、被災後気道切開を要した程の障害を受けたことや、胸部X線の異常所見から、本件災害との因果関係も認めている。加藤補足によると、ヒュー・ジョーンズは[3]から[2]に改善しているが、換気指数の低さや血液ガス検査の結果が低下を示していることから、総合的には症状が固定していると診断している。

一方、白石意見は、昭和六一年の検査では肺機能成績は改善し、正常値であるので、換気機能障害はない、血液ガスデータでは、肺胞酸素分圧は増加しているのに動脈血酸素分圧データが低下しており変化の方向が一致しておらず、閉塞性換気障害で説明することは困難であり、肺血管病変(肺塞栓、肥満によって生ずる。)の可能性があるとしている。ヒュー・ジョーンズも改善しており、風邪症状の原因は四〇歳以降の喫煙と映画館勤務や商業地域に居住していることなどによる呼吸器感染機会の増加のためであり、本件災害との因果関係は否定されるとしている。

そこで、原告西岡の後遺症について検討すると、昭和五六年の一秒率、V25の値が著しく悪いが、昭和六一年のデータによると、一秒率は正常値を示し、V25も著しく改善している。加藤補足は昭和五六年のフローボリューム曲線の異常をもって、閉塞性換気障害が全経過にわたって持続しているとするが、昭和六一年のほぼ正常値への改善を説明し切れていないといわざるを得ない。むしろ昭和五六年を除けば、閉塞性換気障害の程度を明確に示すデータは不足しているというべきである。結局、原告西岡の症状が閉塞性換気障害、慢性気管支炎によるものであることを認めるに足りる証拠はないといわざるを得ないし、本件災害との因果関係を認めるに足りる証拠もない。

6 原告青山輝子について

(原告青山の主張)

和解の対象となった後遺症 和解等級は一二級であるが、そのとき認められた後遺症は首の前面に残された手術痕と嗄声であった。原告青山は呼吸困難を訴えていたが、被告は心因性として、早晩消滅すべきものであると主張し、補償の対象から除外された。

現在の後遺症 加藤医師は閉塞性換気障害があり九級の七の三に該当すると診断した。

該当和解条項(発生か判明か) 主位的には発生条項であるが、仮に前訴和解において息切れなどの呼吸器の症状の存在が考慮されていたとしても、心因性ですぐ消滅する軽い程度のものとして考慮されたにすぎず、不可逆的で重いことが判明したので、少なくとも判明条項により請求できる。

(判断)

原告青山は昭和一二年生まれで本件災害当時は三五歳であった。前訴では、一二級該当として慰謝料八三万円が認められているところ、咳、痰、息切れなどの呼吸機能障害を訴えており、これらが後遺症の認定に際して除外されたことを認めるに足りる証拠はなく、和解において考慮されたものと認められる。

原告青山の自覚症状については、本件災害後、前訴和解以前から気管支喘息のような症状が出るようになったが、息苦しさが和解当時より悪くなっていった、昭和六〇年頃からは季節の変わり目に高熱が出て寝込み気管支肺炎になるようになったということである。

加藤意見書は、昭和五五年の二月と一二月の二回の検査に基づき、一秒率の軽度の低下と低肺気量における顕著なフローボリューム曲線の異常から、閉塞性換気障害ありとし、問診から、ヒュー・ジョーンズ[3]程度の労作時呼吸困難を認め、九級の七の三に該当する程度の障害があるとし、原告青山に喫煙歴がないこと、アトピー性素因もなく、本件災害時に気道切開をするような重篤な呼吸不全が存在したこと、自覚症状が本件災害後に発現したことから本件災害との因果関係を認めている、さらに、加藤補足によると、換気指数は五五を超えているものの、血液ガス検査の高度な異常値、胸部絞扼感や喘鳴を伴う呼吸困難、激しい咳嗽等の自覚症状の悪化から、七級の五に改めるとしている。

白石意見でも、スパイロメトリーやフローボリューム曲線、血液ガス検査等の結果等を総合して、末梢気道閉塞を主とした軽度ないし中程度の閉塞性換気障害を認めているものの、経年変化については肺機能が年余にわたって増悪したとはいえないとする。また血液ガスの異常は悪化しているが、異常な体重増加が影響し、肺血栓塞栓症の可能性もあるとも推測している。そして、昭和五五年一二月四日に行われた気管支拡張剤(ヘリウムと酸素の混合気体)を用いた肺機能検査によると、V25及びV50がいずれも増加しており、気管支拡張剤によって改善する末梢気道の閉塞であることが明らかであり、このような場合気管支喘息であると理解するのが自然である、原告青山が「夜、寝静まった時に咳が出て眠れない。」、「季節の変り目になると、特に三月から四月の中くらいまで、咳が出て困る。」と述べていること、喘息と診断されて治療していること、以上の事実と年齢を考慮すると内因性気管支喘息である可能性があると診断し、本件災害との因果関係を否定している。なお、一部のフローボリューム曲線についての呼出のブロックについては、加藤意見は閉塞性換気障害の表れとしての空気とらえ込み現象とするが、白石意見は努力不足であろうと推測している。

そこで、原告青山の後遺症について検討すると、閉塞性換気障害の存在は肯定できるが、気管支拡張剤を用いた肺機能検査結果、原告青山の訴えている症状、気管支喘息と診断され治療を受けていること、以上からすると、気管支喘息の可能性が大であるにもかかわらず、加藤意見では気管支喘息の除外診断ができておらず、慢性気管支炎とすることはできない。また、血液ガス検査の異常値等については、昭和五五年から昭和六三年まで九キログラムの体重増加による影響を考慮する必要がある。

以上を総合すると、原告青山の症状と本件災害との因果関係について「判明」したといえる程度の立証がなされているとはいいがたい。

7 原告柏崎きょうについて

(原告柏崎の主張)

和解の対象となった後遺症 肺関係の症状につき、一二級に該当すると認められた。

現在の後遺症 加藤医師の診断により昭和五九年四月二日慢性気管支炎、閉塞性換気障害のため、一一級の九に該当すると診断された。

該当和解条項(発生か判明か) 和解時、症状の程度が判明していなかったので、判明条項により請求する。

(判断)

原告柏崎は大正九年生まれで本件災害当時五二歳であった(原告柏崎本人)。

前訴では、原告の主張するとおり、肺関係の症状につき、後遺症一二級に該当するとして、八三万円が認められている。

原告柏崎の自覚症状としては、足が一番悪い、冬でも少し歩けばすぐ汗をかき、息切れがして、胸が苦しくなる、頭がぼうっとするということである。

加藤意見書によると、スパイロメトリーによる肺機能検査の成績は正常下限界に近いが、フローボリューム曲線の異常や湿性咳嗽、労作時前胸部の絞扼感から、閉塞性換気障害、気道病変を認め、一一級であると診断し、喫煙が少ないことから本件災害との因果関係が認められるとしている。

しかし、白石意見は、昭和五六年のフローボリューム曲線の安静呼吸レベルが著しく呼気側によっていること、昭和五四年や昭和五六年の検査結果に測定上の誤差の可能性を指摘する注意書きがあること、原告柏崎の記銘力に問題があることから、検査の信頼性に疑問ありとし、一方被検者の協力を比較的要しないクロージングボリュームやクロージングキャパシィティが正常であることから、末梢気道閉塞の存在はないか、あったとしても極めて軽度であるとする。そして、原告柏崎に関する診断書等から、肥満や心疾患、その他神経疾患等が認められ、原告柏崎の息切れ、体動時の胸の絞扼感等の症状は、それらの疾病によるものか心因性のものであるとする。そこで、原告柏崎の後遺症について検討すると、データ上軽度の閉塞性換気障害の存在を全く否定することはできないが、原告柏崎の肥満(そのため肺の下部がつぶれて閉塞性換気障害の値を示しうる。)や努力不足によるデータの誤差が考えられ、明確に閉塞性換気障害の客観的データがあるとはいえない。息切れ、胸の絞扼感等の自覚症状についても、肥満や心疾患、その他神経疾患によるものと解する余地があり、咳、痰の訴えが少ない。結局、肺機能障害の存在自体立証不足というべきである。

8 原告黒光チエコについて

(原告黒光の主張)

和解の対象となった後遺症 慢性気管支炎で一一級、一酸化炭素中毒による神経症状では七級というものであった。ただ、右後遺症は当時診断名とされていた、煙ガス症、喘息様気管支炎、心因性呼吸困難、慢性気管支炎、自律神経失調症、一酸化炭素中毒症などの病名のうち確実に存すると考えられた病名を仮に代表としたにすぎないが、神経症状の重篤さ故七級として和解が成立したものである。

現在の後遺症 昭和五六年、六一年の検査結果によれば、閉塞性換気障害があり、その程度は労作時呼吸困難というヒュー・ジョーンズ[5]程度であることが判明した。現在身の回りのことをするにも息切れを感じ、胸痛や心悸亢進等の症状の他、左を上にした側臥位で喀痰が増加するという状態である。

該当和解条項(発生か判明か) 現在のような症状は和解時より徐々に悪化しており、症状の不可逆性だけでなく、新たな障害が発生している状況にあり、このようなことは和解時には勘案されず、予測だにしえなかったものであるから、閉塞性換気障害の症状は判明条項であり、症状の悪化は発生条項である。

(判断)

原告黒光は大正九年生まれで本件災害当時五一歳であった。

原告黒光の和解経過については、昭和五三年二月二一日付の裁判所提示の和解案では一一級、後遺症慰謝料一一九万円となっていたところ、昭和五三年八月一二日付で、原告黒光の全身性不定愁訴や頭部違和感等の身体症状や記銘力障害や思考の渋滞等の精神症状は一酸化炭素中毒による後遺症であり、しかもその程度は七級相当であるところ、慢性気管支炎その他の内蔵疾患も併せると、その障害の程度はより重いものであるとする愛媛大学の意見書が作成され、右意見書が前訴和解の際考慮され、七級相当として、慰謝料三三四万円が認められた。

加藤意見は、昭和五六年における一秒率の悪さから、高度の閉塞性換気障害ありとし、頻発する湿性咳嗽の発生から、五級の一の三に相当する後遺症があるとし、自覚症状の発生が本件災害後であるということから、因果関係を認めている。

しかし、白石意見では、昭和六一年の検査のフローボリューム曲線について上昇角の部分が欠如していることから、努力性肺活量、一秒量、高肺気量域における気流速度等のデータについては信頼性が低いとし、昭和五六年の検査結果は肺活量が全く正常であるのに、一秒率が著しく低く、高肺気量域からして、気流速度が低いというデータとなっており、これを解釈すると閉塞性換気障害が有りながらも息こらえに強いということになるが、それは極めてまれなケースであるとし、昭和五六年から六一年までに肺活量の減少があり(昭和六三年には若干回復)、その影響を受けて最大換気量や一秒量の著明な減少があるが、呼吸抵抗の増加が軽度であることや、血液ガス検査結果はかえって改善されていることから、肺活量の減少については閉塞性換気障害の増悪を証明するものではなく、肥満がすすんだことによるものとして説明でき、一方一秒率はほぼ安定していることから、閉塞性換気障害は有るものの、著しく増悪はしていないとする。

また、昭和六〇年から平成三年当時まで入通院して治療を受けていた渡部内科の診療経緯や昭和六二年から平成三年当時まで入通院して治療を受けていた鷹の子病院の診療経緯をみると、病名としては、気管支喘息の他、心循環系疾患や神経疾患、心気症などがあげられており、原告黒光本人の訴えも喘息様症状の他に、心疾患、心気症、呼吸器疾患的な症状があることから、肺機能検査のデータが信頼できるものとすれば、心気症による呼吸困難と肺機能障害による呼吸困難が併存または前後しており、鬱血性心不全による呼吸困難も一部の原因となっていると考えるのが自然であり、肺機能障害があるとすれば、その発作の時期、症状、喘息の薬を飲んでいること、アレルギー体質であることなどからみて気管支喘息であるとして、本件災害との因果関係を否定する。

そこで、原告黒光の後遺症について検討するに、原告黒光本人の供述によると、本件災害以後いろいろな病院に入退院を繰り返してきたが、昭和六〇年前後から呼吸困難がひどくなり、三〇〇メートルの歩行や家事をするのさえ困難となったというのであるから、症状が悪化したと認められる。加藤意見は、肺機能検査のデータから閉塞性換気障害があり、肺活量の減少については閉塞性換気障害が増悪し、気道の狭窄により十分に呼気できないことの表れであるとする。しかし、その結論は血液ガス検査結果が改善していることとの整合性に欠けるし、加齢、肥満、更には他の疾患による影響や白石意見が指摘するデータ自体の信頼性の低さなども考慮すると、原告黒光本人の努力に依存する検査である肺活量の結果を重視していいか疑問である。

また、たとえ閉塞性換気障害が認められたにしても、心気症や心疾患など多様な疾患が並存し、それらがあいまって、原告黒光の呼吸困難による生活制限を来していることは間違いがなく、閉塞性換気障害による影響の程度については証拠上不明である。ひるがえって、閉塞性換気障害の原因疾患として白石意見は気管支喘息とし、本件災害との因果関係を否定しており、加藤の反論としては反応性気道機能障害症候群として本件災害との間に因果関係があるということのみである。

結局、原告黒光について、本件災害に起因する後遺症が発生したとはいえず、後遺症の存在を医学鑑定的に解明できたともいえない。

9 原告山本肇について

(原告山本の主張)

和解の対象となった後遺症 変形性脊椎骨軟骨症、変形性腰椎症など本件災害時の衝撃によるものと両眼近視性乱視、緑内障、急性ガス中毒症など、「北陸トンネル災害症」と包括的に称された神経症状があり、そのために易疲労性、頭痛、耳鳴り、物忘れ等に悩まされ、自分の仕事である授業は緊張を持続できないため、二時間は連続できない状況であった。和解時に慢性気管支炎も指摘されていたが、主に一酸化炭素中毒の後遺症(一一級)としてその補償がなされたにすぎず、肺の閉塞性換気障害の内容及び程度は問題にならなかった。

現在の後遺症 一酸化炭素中毒症による生活障害の程度については、基本的に変化はないが、階段の昇降に息切れを感じ、特に感冒罹患時にその程度が増強する。ヒュー・ジョーンズ[2]程度の労作時呼吸困難があり、更に湿性咳嗽、低酸素血症、肺野の不規則陰影など、肺の閉塞性換気障害の存在は明らかである。

該当和解条項(発生か判明か) 和解後に病名及びその程度が判明した。

(判断)

原告山本は、大正七年生まれで本件災害当時五四歳で、福井県立若桜高校の体育教師であったが、退職後の昭和五八年四月から平成三年四月までの二期八年間小浜市市議会議員の地位にあり、小浜市ゲートボール協会の会長などを務めた。

前訴では、変形性脊椎骨軟骨症、変形性腰椎症、両眼近視性乱視、緑内障、急性ガス中毒症による易疲労性、頭痛、耳鳴り、物忘れなどの神経症状、慢性気管支炎を訴えていた。

本件災害後に入院した中村病院において、レントゲン上で肺に陰影が認められており、気管支肺炎の陰影であると診断されており、昭和四八年六月の病状調査票で階段の上昇時に息切れがする旨の記載があったものの、昭和四九年七月以降の病状調査票では呼吸器症状はないと記載されており、前訴における本人尋問では肺活量が減少したこと以外に呼吸器関係の障害につき述べていない。

和解交渉においては、休業損害・逸失利益の補償として、原告山本は当初二八五万円余を主張したが、教員の身分保障を考慮すると補償の対象とはならないと言われてこれを撤回したものの、頭部の障害(一酸化炭素中毒の後遺症)のため第二の人生が困難になろうからその分として二五〇万円を支払うことで合意され、後遺症に対する慰謝料としては一一九万円が認められた。

以上からすると、慢性気管支炎が前訴で主張されてはいたが、日常生活にあまり影響を及ぼさない程度のものとされていたと推測され、和解において特にこの点に注目して補償額が考慮されたという要素はない。

加藤意見書は、慢性気管支炎であると診断でき、その程度は問診の結果、階段の昇降に息切れを感じ、特に感冒罹患時にその程度が増強するということからヒュー・ジョーンズ[2]程度の呼吸困難が認められるとしている。肺機能検査では、肺活量、一秒率、V25の個々の値が異常値を示しており、換気指数も六一・一、六七・一と低い。昭和五四年と昭和五九年の検査で肺胞酸素分圧較差が二〇・八から三二・八と悪化しており血液ガス交換障害がある。胸部X線の異常所見がみられる。これらの諸検査の結果からすると、末梢気道又は肺胞系に何らかの恒久的な病変が有る。昭和五九年の検査の時点で喫煙指数七五〇から一〇〇〇であることを考慮すると重喫煙がかなり影響していることは否定できないが、本件災害の際の煙吸引による後遺症である可能性は否定できない。

さらに、加藤補足において、昭和六〇年、六一年の検査では、換気指数が四八・七から四八・四と悪化していること、動脈血酸素分圧の異常、失神を来すようになるほどの咳嗽の悪化等から、障害等級は七級の五へと更に悪化していると診断している。

これに対する白石意見は次のとおりである。フローボリューム曲線など閉塞性換気障害を示す数値には異常から正常までの値が出ており一定しない、昭和五五年から六一年までのフローボリューム曲線の内には、ピークが平坦になっているものがあるが、そうでないものもあり、固定的な上気道閉塞が存在しているとはいえないし、呼気の最初から測定できていないものもあり、安静呼吸時のループが右に偏るという異常がみられること、これらと肺活量の数値にばらつきがあることを総合すると、検査の値は被検者の呼出努力不足や検査者の操作ミスによることが考えられ、データ自体の信頼性は低い。血液ガス検査の異常所見と、主訴からすると、程度の変動する換気機能障害があることは認められるが、変動性から気管支喘息も考えられるし、本件災害との因果関係については重喫煙者であることから不明である。なお、血液ガス検査の異常所見は軽度であり、呼吸困難を来すほどではなく、呼吸困難や咳嗽失神を来すようになるほどの咳嗽の悪化があるとすれば、心気症ないし不安神経症によるものと考えるのが相当であるとしている。

以上の白石意見に、原告山本が和解後二期八年の間市会議員の地位にあって多忙な議員活動をしてきたことを考えあわせると、原告山本に、閉塞性換気障害の存在が認められるとしても軽度であり、呼吸困難をもたらすものではなく(呼吸困難があるとすれば不安神経症等、他の病気によるものである可能性が大である。)、変動性があることからすると気管支喘息であることも考えられる。慢性気管支炎であるとしても、重喫煙との因果関係も否定できない。

結局、原告山本の症状が本件災害による慢性気管支炎、閉塞性換気障害によるものであることの証明はないといわざるを得ない。

10 廣田正雄について

(原告廣田の主張)

和解の対象となった後遺症 左座骨骨折の後遺症である腰椎辷症について、一一級として合意した。原告廣田が主張していた呼吸器の障害については被告が心因性のものであるということで存在を否定していたため、除外された。

現在の後遺症 和解後も労作時呼吸困難が次第に増悪し、坂道の歩行はもちろん、平地の歩行においてものろのろ歩きしかできないし、約二〇キログラム程度の物を軽トラックへ荷積みする作業すら五分もできないほどになり、全く就労できなくなって、昭和六〇年にはそれまで人手を借りて続けていた養鯉業も廃業し、同居の家族の扶養を受ける状態となった。加藤医師により昭和五九年四月一二日、原告廣田には閉塞性換気障害があり、この症状は持続し固定していて、その程度は胸部臓器の障害のために終身にわたり極めて軽度な労務の他服することができないもので、五級の一の三に該当すると診断された。

該当和解条項(発生か判明か) 増悪の点で発生条項であるが、仮に和解の対象に呼吸器症状が含まれていたものとしても、和解後にその症状がより重篤で長期間にわたるものであることが判明したものである。

(判断)

原告廣田は昭和四年生まれで本件災害当時四三歳であった。

前訴では、その余の原告らの集団訴訟が弁論終結し和解に進んだ段階で提訴されたにもかかわらず、昭和五五年までの間、慢性気管支炎、閉塞性換気障害について、例えば肺機能検査などに基づく立証活動がなされた形跡はなく、同年七月一八日、請求額二〇四九万四九一二円に対し、一一七五万円にて和解が成立しているが、後遺症について慰謝料として九〇万円が認められており、一二級相当の扱いがされたと思われる。

加藤意見書は、昭和五四年と昭和五六年の検査結果は、一秒率の低値、肺活量の低下、残気率の上昇、V25の低下など、閉塞性換気障害を示しており、その異常程度と湿性咳嗽及び喘息様発作を合わせると五級の一の三に該当すると判定し、初回検査時五〇〇から七〇〇の喫煙指数があるが、喘鳴は本件災害以前にない症状であるから、本件災害による煙吸入による非可逆な気道病変がこれらの症状や機能障害の基盤を形作っており、喫煙により増悪してきていると結論している。さらに、加藤補足では、その後の検査により、労作時呼吸困難の悪化([2]から[3]へ)、換気指数の継続的低位(五五以下)、血液ガス検査の悪化等の検査結果の追加や、喘鳴を伴う咳嗽発作や誤飲の反復(これは被災による咽頭部の熱性変形に起因すると判断している。)による慢性的気道刺激の影響の可能性から見て、引き続き五級の一の三に該当する後遺症ありとする。

なお、原告廣田によれば、体全体に悪くなってきた、煙草を吸っていたが減らすと体重が増えたので、心臓に悪いことから(医者から心臓の薬をもらって持ち歩いている。)、また吸うようになったということである。

白石意見は、昭和五四年のスパイロメトリーの検査結果は、理解不十分、air漏れ等の記載があることから信頼性が低いし、昭和五六年のフローボリューム曲線についてはレベルの異なった安静時ループが見られることから安定した状態での測定とはいえない。昭和六三年のフローボリューム曲線については右端が途中で切れていて、そのため肺活量の結果が低く出ているとする。これらの検査結果が信頼できるとしても、それまで出ていた一秒率や最大呼気中間流量、V25などの閉塞性換気障害の因子が昭和六三年には改善されている。症状の可逆性から、慢性気管支炎等の固定した障害とは考えにくく、気管支喘息の可能性がある。また、血液ガスの検査結果や呼吸抵抗の悪化傾向があることについては、別の因子(例えば肥満、一六〇センチメートルの身長に対し、昭和五四年、五六年の体重は七九キログラム、肥満度四三・九で、昭和六三年には七二キログラム、肥満度三三まで下がったが、途中八五キログラムまで体重が増えたことがある。原告廣田本人)も考えるべきであるとする。

そこで原告廣田の後遺症について検討するに、加藤、白石両意見とも、閉塞性換気障害の可能性自体は否定していないが、少なくとも、昭和六三年には一秒率、一秒量等の閉塞性因子の改善があることは認められ、原告廣田の症状が極端に悪化してきたということはできない。加藤意見は努力性肺活量の低下から、閉塞性換気障害を認めるべきとするが、白石意見の指摘する呼出の中断等のデータ誤差の可能性は否定しがたい。このようなデータのばらつきからは、固定した慢性気管支炎とはいいがたいので、気管支喘息の可能性があり、これを除外するための検査が必要である。

また、閉塞性換気障害が認められたとしても、肥満や喫煙、心臓疾患の存在が明らかであり、本件災害が閉塞性換気障害に与えた影響の程度は明らかではないし、増悪したことに寄与したことを認めるに足りる証拠もない。

結局、原告廣田について、本件災害に起因する慢性気管支炎、閉塞性換気障害の存在は証明が不十分であり、仮に本件災害との因果関係が認められるとしてもこれが増悪したのは他の要因によるものである可能性が大であり、前訴和解で考慮されている程度より重いものであったということの証明はない。

以上のとおり、いずれの原告についても、本件災害に起因する後遺症が発生または判明したことの立証がなされたとはいえず、本件原告らの請求は理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野田武明)

裁判官 宮武 康、裁判官 中村昭子は、転補のため署名押印できない。

(裁判長裁判官 野田武明)

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